「とある日」は家族の日常生活をそのまま撮影する。
5年前に「とある日」を撮ったときはまだ生まれていなかった男の子二人。
ふだんは保育園に預けているそうだが、今日は二人とも発熱で家で一日を過ごすことになった。
親はそれだけで天を仰ぎたくなるものである。
一日は小学校に行くお姉ちゃんを弟くんが泣き叫びながら追いかけるところから始まる。
毎朝のことらしく、ママは放っている。
僕が一度連れ帰ってもまた追いかけようとするので、仕方なくママが通りまで彼を連れてゆく。
ぼくも学校に行くと泣くが、彼が小学校に行けるのは2年後である。
そのあともわがままを言い募る彼の相手をしつつ、ママはあまり元気のない末っ子くんの面倒を見ながら二人の遊びにつきあい、朝ごはんを食べさせ食器を片付け洗濯物を干して掃除機をかける。
僕はその様子を撮影するだけなのだが、いっそカメラを置いて手伝おうかと思うほどに彼女は忙しい。
昼にパパが帰ってきて昼食。そのあと約1時間かかってようやく男の子二人は昼寝。
起きたらおやつを食べさせ少し遊んで小学校にお姉ちゃんを迎えに行く。帰宅するとマンガを読み耽るお姉ちゃんの学校の宿題をチェックして、夕食の支度。
このあたりで僕が男の子たちの相手を始めてしまう。「とある日」の撮影ではルール違反なのだが、そうでもしないと、家事を進める時間がない。
パパが帰宅して家族は夕食を囲む。今夜は手作りのピザ。
食事なかばで彼女は電池が切れたようにソファに座った。あとは子どもたちをお風呂に入れたら、ようやく一日が終わる。
また明日も今日と同じような一日になるだろう。
「1週間が早いんですよ」「ほとんど記憶がないですから。いつの間に三人目!?みたいな」とママは言う。
どのママからも似たようなことを聞く。
お宮参りに来たおじいちゃんおばあちゃんに我が子(パパまたはママ)のお宮参りを覚えているかと聞くと、大半は覚えていないと答える。
興味がないというより、子育ての忙しさは日常の記憶を遠いどこかに追いやってしまうのであろう。
今日の写真がその記憶を補完するのかどうかわからないけど、たしかにその一日があったという事実を伝える。
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