![](https://static.wixstatic.com/media/a3c841_6276373abf0e404db8bb26cc3d70bfe1~mv2.jpeg/v1/fill/w_147,h_98,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,blur_2,enc_auto/a3c841_6276373abf0e404db8bb26cc3d70bfe1~mv2.jpeg)
緑の芝生広がる河原には、爽やかな5月の風が吹いていた。
二歳の誕生日を迎えた女の子は、見るもの感じるものすべてが新鮮で楽しくて仕方がない。
彼女はご機嫌で緑の河川敷を走り回る。土手の斜面も転ばず降りれる。パパとママはハラハラしながら彼女を見守る。
なんでもない日はいつか忘れてしまうんだろうか。こんなに素晴らしい一日なのに。
イヤイヤはあっても二歳児は掛け値なしにかわいい。
これから言葉が出てくるようになったら、それもまたかわいい。
親たちは、なんとかそれをとどめておこうと写真や動画や文章にする。
それらをいつの日か見返して、懐かしく思う。
でもそれだけではない。それらは他ならぬ自分たちのために残すのではないか。
子どもが成長するとき、親もまた同じ時を生きているのだから。