ことでんの電車はうららかな春の陽射しを浴びながら、高松の市街地をゆっくり走る。
撮影が終わってほっとする。
一般的なニューボーンフォトは寝ている赤ちゃんを撮るのだが、僕の撮る写真はできれば起きててくれたほうがありがたい。
生後3週間の赤ちゃんは抱っこしているときはいいのだが、いざ寝かせようとするとすぐに泣き出す。
40分くらい抱っこと寝かせるのを繰り返しているとママのほうが精神的に参ってくるもので、これで泣いたら撮影中止にしようと思いながら寝かせたら、ぐずりが止まって目が開く。
撮影していると、様子を見に来たママの母上が「写真撮っても赤ちゃん覚えてないのにねえ」というようなことを言う。
それはそうなんだけど、ではなぜ撮るかというと「見る」ためである。
写真を撮らなくても日々赤ちゃんを見ている。
でもそれは川の水が流れるようなもので、あっという間に時は過ぎて見ていた顔の記憶は薄れてしまう。
もっとも自分のスマホでいくらでも写真は撮れるのだけど、やっぱりそれもデータの山の下に埋もれてゆくだろう。
フォトグラファーが撮った写真は「見る」ために残る。
生まれたばかりの赤ちゃんの肌触りとかその頃の気持ちとか。
Opmerkingen